防風林/永井するみ/講談社2005/06/01

私は「私とは何か」の問いの前提には「記憶の蓄積」があると思っています。しかし長く生きているとその記憶も曖昧模糊としてきたり、聞いた話を自分の体験としてしまうこともあります。さらに「忘れてしまう」こともあるでしょう。それは取るに足らないことだったり、逆に自分を守るためだったり。この物語は自分を、そして大事な人を守るためにある記憶を封印してしまう話です。しかし皮肉なのは、その大事な人が「記憶回復」を長い時間待っていたということです。「防風林」は何から何を守るのか?

アニーの冷たい朝/黒川博行/創元推理文庫2005/06/05

殺した女性をマネキンのように着替えさせる連続殺人事件を捜査する警察とデート商法を行う犯人側の状況を交互に描いていくのは、その交点が勝負所。そこをきっちりと押さえ、かつ読者には嬉しい裏切りが用意できるのは、この作者ならではでしょう。『カウントプラン』にも似た倒錯的物語でも読後感が悪くないのは、この「裏切り」があるからでしょうね。しかも最後には少々冒険小説的なシーンもあったりで、楽しめます。

天使などいない/永井するみ/光文社文庫2005/06/06

笑顔や幸せのウラにある悪意。飼い慣らすにしろ持て余すにしろ、付き合って行かなきゃならない。そんなことを考えながらこの短編集を読んでみると、登場人物の誰かに自分が似ていることを発見します。驚くも良し、納得するも良し。ただし悲観する必要など一切なし。「天使などいない」んですから。

ひとごろし/山本周五郎/新潮文庫2005/06/09

戦前から晩年までの短編集です。主役は武士、農民だったり、あるいはならず者だったり。落語になりそうな滑稽ものから凄惨な内容のものまで、言葉通りに「面白い」です。現代の宇治拾遺物語であるとの表現は言い過ぎでしょうか・・・。小心者が上意討ちの命を帯びる表題の「ひとごろし」には殺人の場面は出てきません。さて、どのように討つのか。「ひとごろし」がひらがなってところがイイですね。

20世紀冒険小説読本「日本編」/井家上隆幸/早川書房2005/06/19

いやー、読み応えがありました(笑)。これは、ロシア革命から香港返還まで、20世紀の主な出来事を題材とした冒険小説のインデックスであり羅針盤です。ミステリーや冒険小説ってのは時代を反射する鏡である点で「歴史」であるし、またそうでないとエンタテイメントとして成立しないものなんですね。本文と同量(いや、それ以上か?)の注釈がある点でもよくわかります。私には馴染みのある船戸与一、佐々木譲、西木正明はもちろん、未読だけども食指が伸びる作者も紹介されているので、これからも手元に置いておく必要がありますね、これは。

刑務官/坂本敏夫/新潮文庫2005/06/20

「官舎で生まれ、官舎で育った祖父に続く三代目の刑務官が書いた塀の中・・・」 このコピーに釣られて読み始めましたが、何度途中で読むのを止めようと思ったことか。現場の刑務官と法務省役人(刑務所現場の上層部を含む)との意識の乖離に立腹するのは理解できますが、先の某刑務所で起こった刑務官による受刑者への暴行致死事件に対する著者のスタンスは理解できません。マスコミの報道も検察の起訴状も全て「でっち上げ」とはどういうことか。現場にべったりだと、見えなくなってしまうこともあるようです。

三たびの海峡/帚木蓬生/新潮文庫2005/06/23

強制連行され炭坑での労働を強いられながらも、戦後韓国で経済的に成功した主人公が一通の手紙によって半世紀の後に再び海峡を渡ります。その目的はいわば個人的なものではありますが、その「個」の向こうに「暗澹たる歴史」が見えます。この作品は静謐な反日小説です。安直なナショナリズムや正史こそが正義と考える向きには、おそらくアレルギーを催すでしょう。それも結構。しかし、そのアレルギーの根源を見据える性根は、これからますます必要になってくるでしょう。その自信を持てない方にはオススメしません。

ボランティア・スピリット/永井するみ/光文社文庫2005/06/26

ノンフィクションではありません。某市市民センターで開かれる廉価な日本語教室。様々な国籍の生徒、熱意がある教師(これがボランティア)もいればボランティアをやっているという事実が欲しいだけの教師等々。ボランティアという言葉は素晴らしいけれど、人が集まる限りいろんな軋轢や摩擦があるわけです。悪意を持つのに国籍は関係ありませんなあ。「ボランティア」と聞いて身構える方にオススメです。

赤ひげ診療譚/山本周五郎/新潮文庫2005/06/30

今さらながら読みました(笑)。私が言うのもおこがましいけれど、時間に耐え抜いた作品はやはり面白い。長崎遊学から帰り、幕府の御典医を目指す主人公がその意に反して小石川療養所勤務となります。ここは貧しい人々に治療を治療を施す場所。待遇に反発する主人公は、しかし次第に医長の「赤ひげ」の考え方や言動に惹かれていく。 私は読後、これを青春小説であると感じました。不満や反発を持ちながらも自ら進む道を見つけていくのは、まさに成長の物語です。